湯の花(いのはな)トンネル列車銃撃慰霊碑とは
3月に梅の花が咲き乱れる高尾梅郷・新井梅林のそばに、約60名の犠牲者を弔う慰霊の碑がひっそりと佇んでいる。
「湯の花(いのはな)トンネル列車銃撃慰霊碑」だ。
太平洋戦争末期の1945年8月5日、新宿発長野行きの列車が浅川駅(現・高尾駅)を出発し、湯の花(猪の鼻)トンネルに差し掛かったところ、硫黄島から飛来した米軍機の銃撃を受けた。
この攻撃により約60名が死亡、133名が重軽傷を負ったと伝えられている。
戦後の1950年、地元の青年団が供養塔を建立。
1984年には「いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会」が結成され、1992年に慰霊の碑が建てられた。
さらに2017年には、旧甲州街道沿いに供養塔・慰霊の碑への入り口を示す石碑が設置されている。
供養塔・慰霊の碑の場所

慰霊碑へはJR高尾駅北口のバス停から高01系統・小仏行きに乗車し、揺られること約10分、「蛇滝口」バス停で下車して向かう。
高尾一帯は「高尾梅郷」と呼ばれる梅の名所で、3月中旬に見頃を迎える。
慰霊碑の周辺にも新井梅林や天神梅林が広がっているので、梅の季節に合わせて訪れるのもいいだろう。
バス停を降りると、すぐ目の前に慰霊碑の存在を示す石碑が建っている。
矢印の方向に進み、数メートルほどで道が二手に分かれる。

右の緩やかな上り坂を進んでいくと、供養塔と慰霊の碑が静かに佇んでいた。
手前に供養塔、奥に犠牲者の名前が刻まれた慰霊の碑が建っている。
犠牲者の名前の下には年齢も刻まれており、10代の若者たちもいたことに胸が詰まる。

静かに手を合わせ、ふと顔を上げると、周囲には梅が咲き乱れていた。
平和な時代に感謝をして、その場を後にした。
なお、先ほどの分かれ道を左に進むと中央本線の踏切が現れ、線路の向こうに湯の花トンネルを望むことができる。

ここが銃撃の現場なのだと、当時に思いを馳せる。
煉瓦造りのトンネルは戦時中から残るものだという。
戦後80年が過ぎたが、この惨劇を決して忘れぬよう、慰霊碑を守り続けていかなければならないと感じた。



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